大企業の予算編成は毛が抜けるほど大変。子会社の保守的な売上計画、過剰な販管費計画、過剰な研究開発費計画。
こんなPL計画、積み上げて連結したら、とんでも予算が出来上がるっての。減収減益計画とか誰も見たくないのよ。
ええーっと、来期は減収減益の見込みでして、、、とか成長著しい我が業界では言えない言えない。言えるはずがないのです。
簿記一級や会計士試験で管理会計をかじった人ならわかると思いますが、私は今、あるキーワードに頭を悩ませているのです。そう、その名も、
予算スラック。
あぁ、もう死ぬほど教科書通りの現象がおきています。なんてことはありません、各子会社、各部門が過度に保守的な次年度計画値を提示してくる現象のことです。
目次
予算スラックが発生する理由1
次年度の計画値って各部門からすると以下を意味しています。
計画値=予算=各部門のお小遣い
そう、予算はお小遣い。おたくの部門、来期はこれだけお金使っていいよ、って。
誰だってお小遣いはたくさん欲しい。来期はあんな事やこんな事をやるから金がいる。金がいるんだ!金くれー!と誰もが申告してくるわけです。
こづかいくれー!これが予算スラックの正体その1です。
予算スラックが発生する理由2
もう一つ予算スラックを誘発する要因があります。それは業績(利益)で評価を受ける人たちがいるという事実です。
計画策定ってのは、自分達で自分達のハードルを設定するゲームで、そのハードルを越えたらgood、越えられなかったらbadな評価を受けるのです。
はい、そうです、多大なる矛盾をはらんでますよね。ハードルを越えればgoodな評価を得られるなら、初めからハードルを低く設定しておけば良いだけの話です。楽勝です。
自己申告で個人の目標を設定させる鬼畜企業、あるらしいですね。誰もができる限りハードルを抑えようと必死に考えながらも、上司に詰められることに恐れおののき、それなりの塩梅でハードルを設定するゲーム、いや、チキンレースなのでしょう。
ただ、こうした少人数のゲームなら、低く設定されたハードルにチェック者のセンサーが反応しますし、管理者は詰めあげることが容易に出来るのです。
面と向かって、「ごるぅぉあ!なめとんか?なめとんな?おぉー!?」と言えばいいだけです。
簡単ですね。
でも、組織がデカイとそうはいかない。世界に40社、事業部が30部門、その中に個別の職能組織が無数にある組織では、センサーはそう簡単に末端まで届かない。だから、みんな甘々のハードルを設定してくる。
これが予算スラックの正体その2です。
予算スラックの弊害1
さて今、私の目の前には一つのどシンプルなバーチャートがあります。研究開発費の予算と実績を対比した二本の棒です。そして、それは予算に比して実績の棒がやたらと短い。
予算をドカっと取ったのに、実際は全然使い切れなかったということです。
嗚呼、予算スラック、でございます。
予定よりも実際はお金を使わなかったのなら、その分予定以上に利益が出たってことでしょ?そんなに落胆しなくても良いじゃない。と思った方はちょっと待って下さい。
たしかに予定より使わなかったのだから、その分の利益は出ます。でも、研究開発費は言うなれば将来への投資であって使ってしかるべきお金なわけです。
予算通り消化できなかった場合は、投資家だって真っ先に何がトラブルでもあったんじゃ?とネガティブな方角へ勘ぐります。投資家だけじゃありません。
先日も取締役会で、ある社外取締役からツライ一言が出ました。
「研究開発費を使わずに、利益目標達成って、、これ君達はどう評価してんの?」
痛すぎます。ウチには研究開発費の未消化を評価に入れる高度な業績評価の仕組みはない。極論、売上高が振るわなかったら、研究開発をストップさせてコストを抑えれば計画以上の利益は確保出来る可能性も十分ある。嗚呼、予算スラック、でございます。
全部の会社でそうとは思いませんが、少なくとも事業拡大過程にある組織で研究開発費は「予定通りに」使うべきコストと認知されるのです。
予算スラックの弊害2
予算スラックの弊害はもう一つあります。
スラックを含んだ保守的な予算を全社レベルで積み上げると、言うまでもなくとんでもなく保守的な収支計画が出来上がります。
すると、スマートな本社はスラックの存在を当然に知っているので、「バッファとってんじゃねー!ごるぅあ!」と烈火のごとく叫び散らします。
でも、組織は巨大です。
その声が、何万キロも離れた大陸でエスプレッソ片手に優雅に仕事に励む海外社員に聞こえるはずが無い。なんなら彼らは夢の中です。いや仮に聞こえたとしても、具体的に誰に向かって叫んでいるか分からない以上、反応なんてする筈ありません。
反応したら、その人は相当なアホか、異常なまでのオーナーシップの持ち主か、その両方を兼ね備えた中学二年生です。
そうなんです。本社は会社総体としてスラックを多分に含んでいることを経験則的に分かっていても、一体どこの誰がいくらスラックを入れているかまでは分からないのです。結果として
「バッファとってんじゃねー!ごるぅあ!」
と、無差別に叫び散らすしかないのです。でも誰も自分から、「わ、私達、バッファ入れてました、、ご、ごめんなさい!」なんて言わないわけです。
すると、本社はどうするか。
「無差別」だった叫びの矛先を、「特定の部門」へと向け始めるのです。全社の計画値を妥当なものにするために。
そうです、誰がスラックを入れているか、大して検討もつかないのに、です。怖いですね。
「おい、おまえ!おい!おまえだよ!!あと2億、あと2億予算を削れ!ごるぅぉあ」
それはもはや、数百人規模で人質を取り、立て篭もる、イカれ狂ったサイコパスがショットガン片手に一人で意味不明な言葉(いや謎の音)を叫び散らしているその瞬間にバッタリ目が合ってしまった時のそれです。恐怖。凍りつくような、恐怖です。
この恐怖をくらった部門は問答無用で予算をカットです。スラックなんて入れずに健全に予算を作っていたとしても、です。誰も逆らえません。
これ、どう言うことかと言うと、小遣い欲しさに無駄なバッファを入れた他部門のせいで、来期の活動のために「本当に」必要な予算を、カットされるということです。
これは会社全体として重大な問題です。最適な予算配分が出来ていない。金をかけるべきところに投下出来ていない。苦しいです。現場のモチベーションが下がります。言い訳に使われます。もう良い事なんてないのです。
経営会議を通すための次年度計画、投資家が満足する次年度計画。
これが予算スラックの弊害その2です。
予算スラックの解消法はあるか
話を戻すと、いま私は予算スラックによって発生したであろう未消化予算を示したバーチャートを目の前に、来年度どうやって予算実績差異を縮めるか、予算を最適配分するかを考えねばならない状況にいます。さて、どうしよう。
予算スラックの最もメジャーな解消法は、至ってシンプルです。
「トップダウンで数字作ればえーやん」
以上です。多くの管理会計学者が述べるこの方法は、欧米企業の方法です。欧米企業は本社・本部の管理セクションの影響力が日本のそれよりも遥かに強いので、これで出来ちゃうわけです。
彼らの組織は、左手の洒落たタンブラーが似合うシャツのサイズがいつもピッタリフィットのスマートなMBAホルダーの部隊を本部に据えて、まず全社としてありたい姿をPLの形に落とし込みます。
要するに、タンブラーの連中があらかじめ答えを作ってしまうわけです。いい感じに、あれして。
あとは、これを各事業部門に「これで、よろ。」と言って指示を落とせば、事業部門サイドはその答えになるように、ディティールを埋めてくれます。これだけです。簡単ですね。
この体制のもとでは、予算スラックなんて寝言にすら聞こえません。もはや都市伝説ですらないでしょう。
日本企業にトップダウン方式はフィットしない
でも日本の企業でトップダウン方式を採用するの難儀です。日本の企業って(とくに私のいるメーカー業界)って現場の発言力がやたら強い。「もう黙れお前ら」ってくらいに強い。ここでは、タンブラーホルダーのMBAホルダーもなかなか太刀打ちできません。
頭脳明晰なエリートが時間を掛けて練った論理ツリーは、無情にも現場によって根っ子から引っこ抜かれ、窓の外へと投げ捨てられ、ゴミ収集車で撤去されて終わります。
恐怖です。
自分の能力が無効化されるのです。それは、それは、ただ、ただ恐怖。
もはや日本のメーカー界では常識すぎてあえて誰も言いませんが、論理立てて正論を振りかざすスリムシャツの似合う奴は、十中八九、殺されます(シャツが似合わない人は大丈夫)。もはやこれは儀式でありフェスティバルの様相を呈しています。
欧米のMBAホルダーなんてのは最高の生け贄なんです。喰われます。村社会の餌食です。ejiki。
それに、トップダウン方式は現場のモチベーションが上がりません。コレだけやれって言われた、だからやる。自分たちの、現場の、意志なんてまったく意に介していないトップダウン計画を無慈悲に落としこまれる。すべては全社計画のために。
リアルに手を動かし、進捗させるのは現場なのに、あのおしゃれタンブラー野郎達が、、現場を現物を何も知らないあのタンブラーホルダーたちが作ったプラン通りに動かないといけない・・。モチベが下がります。
それはもはや、独裁政治。全体主義。国のメンツを守る為に見捨てられた田舎の集落そのものです。
気持ちがコミットしていない計画を実行する事ほど苦痛なことはない。モチベが上がらない。モチベが下がりっぱなし。もうどうでもえーわ、です。お国のために死ねる集団ならいいですが、もはやそんな人はどこにもいない。
トップダウンは現場の”カイゼン”が事業を支えている、とか言っている日本の企業には到底フィットしないのです。
すくなくとも日本でトップダウン方式をいれるなら、極限にまで現場社員の自我を消しにかかり、ロボットのように働く無機物の集団に変えない限りきつい。
誰か対策を教えてください(切なる願い)
じゃあ、他に良い方法は無いのか?無いのか?あるだろう?無いか?だれか教えて欲しい。切なる願いです。
ウチの次年度計画の策定方法は「ボトムアップに始まり、トップダウンに終わる」。たぶん来年も変わらないでしょう。
変えねばならぬ。
※この記事は会社で起きている現象をかなり極端に表現しています。実際はもっと落ち着いたカルチャーですが、実際に起きている経営上の課題はこの記事から読み取れるとおりです。
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