こんにちは!やまびこ(@YamabikoR)です。
”錯覚資産”という言葉を聞いた事があるだろうか?
いま、Twitterで爆発的に発現しているキーワードだ。林先生の初耳学でも取り上げられたことで、大旋風を巻き起こしている。
初耳学👂
身近な「錯覚資産」
最近の中島健人 pic.twitter.com/1rHke4hgDv— Win (@Win_Tube) September 16, 2018
ボクが錯覚資産という言葉を知ったのは、立ち寄った書店でフィーチャーされてるのを見たからなんだけど、なんとなく立ち読みしただけで、身震いがした!
「これ、ボクがずーっと抱えてたモヤモヤそのものやないかーーい!」
社会人になってから、ボクはずーっと思っていた事があった。それが、「上司って意外と部下の評価適当なんじゃね?」ってこと。うまく言語化できないけど、何となくそんな気がしていた。でも、そのモヤモヤは錯覚資産という言葉でいとも簡単に片付いてしまった(気がする)。ボクはどうやら無意識に、錯覚資産を運用してたのかもしれない。
目次
錯覚資産の起源はふろむださんの記事
そもそも錯覚資産って何やねんという話。この言葉の起源は「分裂勘違い君劇場」というバケモノ級のブログを運営する、ふろむださんの記事だ。
めちゃくちゃ読みやすいから是非読んでみてほしい(説明が分かり易すぎて、自分の文章力の無さが泣けてくるw)。ちなみに、本にもなってるぞ!
思考の錯覚とは
ふろむださんは、記事の中で以下の図を使った簡単な例を示してくれている。
例えば、以下のような容姿が優れた政治家がいたとする。

この場合、直感はこの政治家に以下のようなイメージを抱くというのだ!容姿が良いというだけで、まるで政治手腕や人柄、政策といったまったく関係のない要素までもを過大に評価してしまうと。

出典:人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている – 第一章
「そんなことない!あるはずが無い!人ってのはなぁ、もっと合理的なんだよ!」と初めはボクも思った。でも、冷静に考えると心当たりがあったわけ。あなたもよーーく考えてみて。これ、意外と身近なところで、体験していると思う。
錯覚資産=自分にとって都合のいい思考錯覚
で、最近旋風を巻き起こしている錯覚資産っていうのは、この思考錯覚のうち、自分にとって都合の良いものを指してるらしいんだよね。

出典:人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている – 第三章
なるほど。例えば、職場でこんなことない?
帰国子女で英語ネイティブのイケメン新人が入ってくると、無条件に全体的に優秀だと思ってしまう。実際は、米国で生まれ、米国で育っただけの、”ただの”イケメンだから、イコール「優秀」とはならないはず。それでも、なんか優秀に思えるんだよね。
これはイケメン新人からすると紛れもなく錯覚資産だ。
・英語がネイティブ
・容姿端麗
このたった2つの要素だけで、その他のあらゆる能力まで含めて「全体的に優秀」と見てしまう。あるよね。
錯覚資産がないと実力アップが難しい
この錯覚資産という発見は、ボクたちの仕事においても重大な意味を持つはずだ。
ふろむだ氏は言う。錯覚資産がないと実力を伸ばすのが困難だ!職場での実力は、よい上司、よい同僚、よい部下、よいポジションという、よい「環境」に恵まれてはじめて、効率よく伸びていくのだ、と。

出典:人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている – 第一章
この、良いポジションに配置されやすいのが錯覚資産ホルダーなんだ!とろむださんは言うわけ。確かに、職場で責任あるポジションに誰かを充てるとき、上司って無意識に大きな錯覚資産を保有する人をアサインしてる気がしてならない!
錯覚資産はすべての通過点になる
興味深い考察をしている方がいた。以下のループは成果を生み出すプロセスを図示している。

1.「実力」で「成果」を挙げる。
2.「環境」を活用して「成果」を挙げる。
3.「錯覚資産」で「成果」を挙げる。
でも、上にある図に書いてある線をなぞっていくと、
「錯覚資産」は、すべての通過点として使える。
これを見ると、錯覚資産は、極めて活躍の幅が広い概念だということが良く分かる。実力をつけるにも、良い環境を整えるにも、成果を出すのにも、錯覚資産は機能的なファクターだということだ。
ボクも少しは錯覚資産を持っているのかもね
ここで少しボクの話。
はじめにボクが配属された部署は国外とのやりとりが皆無だったんだけど、ごく稀に英語が必要になる局面があって、そんなときは、決まってボクがアサインされた。
どうやら、「最近入社してくる若者」はみんな英語ができると思われているらしい。無論、ボクは英語なんて全くできなかった!真面目に聞いているフリをしたり、たまにフムフムと頷いてみたりしながら、その場を凌いでいただけだ。こちらから伝えるべきことがあれば、全力でスクリプトを暗記して、そのまま吐き出していた。
上司とのミーティングでは、自分では何もできないぺーぺーのくせに、えっちょ前な態度をキープしていました。態度だけはデカいクソ野郎だ。
学生の頃から身だしなみには気を使っていました。髪型、眼鏡、服装、靴。ただし、大学院時代は例外。誰が見ても浮浪者のような風貌でした。あの頃は特別。内定切りに絶望し、怒り、勉強に過剰集中していた時期でした。この時期だけは身だしなみなんて二の次。
で、今、ボクは思うんだ。実は、これら全部が錯覚資産だったのかもしれないなと。
・ボクは普段から、髪の毛をばっちりセットして
・おしゃれ眼鏡(?)していた(なんだかんだ見た目は大事!)。
・ボクは英語ができることになっていて(100%フェイクだぜー)
・仕事だってバタバタしない(見かけ倒しだぜー)。
・偉い人にも物怖じせず、淡々と発言もできる(内心ビビり倒してたぜー)。
こんな立ち回りがいつの間にか、周りの人に思考の錯覚を生み出し、ボクにとっては都合の良い錯覚資産として機能していたのかもしれないなぁ、と思うんだよねーーー!実際、上司からのパフォーマンス評価はいつだって普通以上だった。
自己評価と上司評価に乖離
ハッタリかましてばかりだったので、ボクにとって普通以上のパフォーマンス評価を得るのは容易かったのは事実だ。「これでいいんだー!楽勝じゃね?」とすら思ったり思わなかったり。
でも、正直言って、ボクは当時から自己評価と上司評価の乖離がデカすぎると思っていた。ボクは自分のことを、決して普通以上のパフォーマンスをしている人間だとは思った事がなかった。それもそのはず、ほとんどハッタリで立ち回ってただけだからね。
だからいつも上司の評価にはどこかモヤモヤを抱えていた。そしてこのたび、その答えが導き出されたわけだ。嗚呼、錯覚資産!
信用には錯覚資産が含まれているってよ
ふろむださんは「信用」にも錯覚資産が含まれていると言っている。顧客からの信用、社内での信用、ともに会社員からすれば重要な要素です。特に日本企業の多くは、努力の対価をカネではなく「信用」で支払う(成果主義の要素ってかなり限定的だよね)。積み上げた信用で、次の仕事が決まるし、役職だって決まる。だから、会社員にとって「信用」は大事。
この信用の内訳で、以下のように錯覚資産がどっかーんと占めていたら?

出典:人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている – 第五章
これだと、さすがに錯覚資産を無視できないよね。というか、「錯覚資産をもつ」ということ自体が一つの能力として認知されるべきだ、とすら思える!
だけど!結局のところ、錯覚は錯覚なんだよね。問題は相手がソレにまったく気がつかないこと。だれしも自分が陥った思考の錯覚を認識するのは極めて困難なのだ!
これ、怖いね!!錯覚資産を振りかざして、実力以上の人を抑える構図があるってことだよ。器用貧乏って言葉があるけど、このタイプの人はまさに錯覚資産が無いために、実力以下の人に押さえ込まれているのかも知れない。
錯覚資産には十分ご注意を。
コメントを残す