こんにちは!やまびこ(@YamabikoR)です。
先日、錯覚資産についての記事を書きました。
錯覚資産っていうのは「他人が自分に対して抱いている思考の錯覚のうち、自分にとって都合のいいもの」の事なんですが、今日、あんちゃさん(@annin_book)の「影響力のある人の言葉は正しいという思い込みは今すぐ捨てろ」という記事に考えさせられてしまいました。
🆕書いた
情報を咀嚼する力大事だよね。
▼「影響力のある人の言葉は正しい」という思い込みは今すぐ捨てろ https://t.co/G83nrCioc4— あんちゃ (@annin_book) September 22, 2018
この記事のメッセージはこうです。
- いくら影響力があるインフルエンサーだったとしても、その意見が正しいとは限らない
- 意見が正しいかどうかと影響力を持っているかどうか、というのは本来全く別の問題
- 自分の意見は自分で考えよう
あんちゃ氏は錯覚資産をひとつ放棄した
一見するとこれって目新しいことを言ってるわけではないですよね。「自分のことは自分で考えろよ」、「他人の意見は他人の意見、お前の意見じゃない」。そりゃそうだよなぁって感じだと思います。
でも、よくよく考えると、これって結構な勇気がいる発言だと思うんです。なぜって、あんちゃさんはブロガーでフォロワー3万人弱(2018/9時点)のインフルエンサーですよ。この状態って莫大な錯覚資産を保有してる状態だと思うんです。

出典:人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている – 第一章
こんな感じで、フォロワーが多いインフルエンサーってだけで、あんちゃ氏が”全体的に優れている”という思考の錯覚を人に与えることが出来ているわけです。そして、その錯覚はあんちゃ氏にとって都合が良いことの方が多いはずです。
ブロガーで世に発信する人間である以上、”優れている”と思われた方が、言葉の重みも出るはずですし、インフルエンサーとしての価値も増すはずなんです。
でも、あんちゃ氏はこの記事でこう言い放つのです。
「あんちゃがこう言ってるなら間違いない!」と鵜呑みにしてしまうのはあまりにも危険な思考です。
これ、「私はあなたの思考に錯覚を与えてるから注意しろよ!」と言っているに等しいんですよね。これを見て、ボクはゲスなので「せっかく積み上げた錯覚資産の効力がなくなっちゃうじゃん!いいの!?」と思ってしまいました。
ボクの錯覚資産
ボクは職場で少なからず錯覚資産を形成していると思っています。おそらく、その錯覚は次のような私の立ち回りから生じたものです。
- よく社長とのミーティングをしている
- よく買収子会社の現地CEOと英語で会話をしている
- よく英語で電話している
- よく部長に呼び出されている
他人はこれらの立ち回りだけを見ているので、「なんかアイツ優秀そうだな、頭いいんだろうな」と思ってしまうわけです。ボクの場合、他人に思考の錯覚を引き起こさせているのは「英語」と「態度のデカさ」によるところが大きいですw
でも実際は、まったくもって優秀でもなんでもありません。というか、エキストラバージンのバカだと自負しています。カタコトで話せる英語を必死にネイティブっぽくハイテンションで喋ってるだけです。偉い人に呼ばれたときだって大抵ドキドキしています。
でも、やっぱり仕事を進める上では”全体的に優秀”だと思われた方が、何かとやりやすい!
錯覚資産を捨てずに追いつく
これを自ら相手に気がつかせるなんて行為、今のボクには出来ません。だって「あの人って優れてるよね」って思われた方が絶対気分いいじゃん。仕事もやりやすい。
でもね、内心こうも思うわけですよ。
「錯覚資産なんて所詮は錯覚、そんなもんに意味なんてねーよなぁ」
「錯覚資産なんてハリボテで戦い続けてもいずれは滅びるよな」
錯覚資産に依存していてもいずれは歪みが出る運命にあると思うんですよね。だから、ボクはこう思います。
「思考の錯覚を”真実”に出来るように鍛錬すればいいじゃんか!」
今思えば、まったく英語ができなかった頃、「最近の若手」というだけで英語ができると思い込まれて、英語が絡む仕事にやたらとアサインされたりもしたけど、本気で英語を勉強して、カタコトの英語が話せるレベルにまでは成長してきました。
そうやって、錯覚を真実に塗り替えてきた。
ひとつの錯覚が真実に変わる頃には、また新たな錯覚を生み出しているかもしれません。その時はまた、その錯覚を真実に塗り替えればいい。そう思って社会人生をエンジョイできたらハッピーなんじゃないかな。
やまびこでした。
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